Archive for the ‘風景画’ Category

大森明恍の富士山麓風景_1

土曜日, 11月 5th, 2016

山麓風景

大森明恍は、富士山麓の諸久保、四反田、東山(いずれも現在の御殿場市内)を転居しました。そして、家の周りの富士山麓から見える風景画も多く残しました。


Meiko_Ohmori_64c
K#64,
Eastern Foot of Mt. Fuji,
Meiko Ohmori (1901-1963), oil on canvas, 1958-1962.
富士岳麓東山,
大森明恍(明治34年-昭和38年), キャンバスに油彩, 96 x 45 cm, 昭和33年-37年
御殿場市蔵
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キャンバス裏に「富士岳麓東山 自1958年 至1962年 大森明恍画」とあります. 大森明恍は昭和26年(1951)から, 亡くなる昭和38年(1963)まで, 東山に住んでいました.
Meiko_Ohmori_47c
K#47,
Meiko Ohmori (1901-1963), oil on board,
大森明恍(明治34年-昭和38年), 板張りキャンバスに油彩, 53 x 45.5 cm (F10)
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K#64とほぼ同じ構図の作品です.
Meiko_Ohmori_082c
K#82
Early Autumn,
Meiko Ohmori (1901-1963), oil on canvas, Aug. to Sept. 1959.
秋になった,
大森明恍(明治34年-昭和38年), キャンバスに油彩, 45.5 x 33.3 cm (P8), 昭和34年9月10月.
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キャンバス裏に自筆で「『秋になった』大森明恍画 一九五九年八月九月作」と書いてあります.
K#64K#47とほぼ同じ構図の作品です.
Meiko_Ohmori_53c
K#53
Meiko Ohmori (1901-1963), watercolor on paper, 1954
大森明恍(明治34年-昭和38年), 紙に水彩, 60 x 46 cm, 昭和29年4月12日
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左下に「MomoTaRo 29.4.12」. 昭和29年(1954)当時は東山に住んでいました. 山の形がK#64K#47, K#82と似ています.
Meiko_Ohmori_108c
K#108
Mt. Kintoki from Higashiyama,
Meiko Ohmori (1901-1963), oil on canvas/board,
金時山の見える東山風景,
大森明恍(明治34年-昭和38年), 板張りキャンバスに油彩, 45.5 x 27.3 cm (M8).
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板の裏にチョークで「517 金時山の見える東山風景 スミ(保)B M8」とあります.
金時山は箱根の外輪山の一つで標高は1212mです.
Meiko_Ohmori_433b
K#433
Mt. Kintoki from Higashiyama,
Meiko Ohmori (1901-1963), Watercolor on paper, Sep. 19.
東山より金時山,
大森明恍(明治34年-昭和38年), 紙に水彩, 38.5 x 27 cm, 9月19日.
——
右下に「MomotaRo, Sep. 19th」とあります. 紙の裏には鉛筆で「(131)東山より金時山を」と書いてありました. #K108(油彩画)とほぼ同じ位置から描いたようです.
Otome_pass
O#06
Spring of Otome Pass
Meiko Ohmori, Oil on canvas,
春の乙女峠
大森明恍, キャンバスに油彩, 35.0 x 27.0 cm (F5)
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乙女峠は, 御殿場と箱根の間にある箱根外輪山を越える峠です.
Meiko_Ohmori_026c
K#26
Early Autumn,
Meiko Ohmori (1901-1963), oil on canvas/board, 1953.
初秋,
大森明恍(明治34年-昭和38年), 板張りキャンバスに油彩, 43.0 x 32 cm, 昭和28年.
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板の裏にチョークで「54 初秋 スミ(保存)A P8」とあります.
Meiko_Ohmori_153c
Y#153
Small Stream,
Meiko Ohmori (1901-1963), oil on canvas/board, 1939,
せせらぎする風景,
大森明恍(明治34年-昭和38年), 板キャンバスに油彩, 50.0 x 60.6 cm (F12), 昭和14年.
——
右下に「M. Ohmori 1939」とサインがあります.
また, 裏板にはチョークで「46 せせらぎする風景 62×50」と書かれています.

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大森明恍の富士山麓風景_2

土曜日, 11月 19th, 2016

田園風景


大森明恍(本名: 大森桃太郎)は、戦前から戦後にかけて、富士山麓、御殿場近郊に広がっていた田園風景も数多く描き残しました。今となっては、めっきり見ることのできなくなってしまった、貴重な昭和初期の風景です。絵の裏面には「記録」の文字が記されているものもあり、当初から記録を意識して描かれていたのかもしれません。富士山画とは、また異なった側面をみせているようです。


Meiko_Ohmori_079c
K#79
Skirts of Mt. Fuji in Autumn,
Meiko Ohmori (1901-1963), oil on canvas/board, Nov. 1939,
裾野の秋,
大森明恍(明治34年-昭和38年), 板張りキャンバスに油彩, 33.3 x 24.2 cm (F4), 昭和14年11月.
御殿場市蔵
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板の裏に自筆で「裾野の秋 一九三九. 十一. 大森桃太郎畫」と書いてあります. また チョークで「91 (保) スミ(記録)」ともあります.
諸久保の丘の上に建てた山小屋式のアトリエから見えた風景と伝えられています. 遠景は富士山の裾野のようです.
Meiko_Ohmori_098c
K#98
Back-Mountains of Morokubo,
Meiko Ohmori (1901-1963), oil on canvas/board, 1939.
諸久保裏山,
大森明恍(明治34年-昭和38年), 板張りキャンバスに油彩, 45.5 x 38.0 cm (F8), 昭和14年.
御殿場市蔵
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左下に「M. OhmoRi 39」.
板の裏にチョークで「47 諸久保裏山 スミ(記録画)保存 F8」と書いてあります.
昭和14年当時, 富士岡村諸久保に住んでいました.
Ohmori_Meiko_O12c
O#12
Morokubo,
Meiko Ohmori (1901-1963), Oil on canvas/board,
諸久保,
大森明恍(明治34年-昭和38年), 板張りキャンバスに油彩, 41.0 x 24.2 cm (M6),
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板の裏に白チョークにて、「諸久保 v51 スミ(スロープ)M6」と書いてありました。
Meiko_Ohmori_109c
K#109
Fork House,
Meiko Ohmori (1901-1963), watercolor on paper, June 1937.
民家,
大森明恍(明治34年-昭和38年), 紙に水彩, 22 x 23 cm, 昭和12年6月.
御殿場市蔵
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左下に「1937 MomoTaRoh」, 右下に[桃]六月の落款があります.
紙の周囲に手描きのフレームが描かれています.
Meiko_Ohmori_49_c
K#49
Folk Houses,
Meiko Ohmori (1901-1963), watercolor on paper.
民家と馬
大森明恍(明治34年-昭和38年), 紙に水彩, 38 x 27 cm.
Meiko_Ohmori_121c
K#121
Fire Watch Tower,
Meiko Ohmori (1901-1963), watercolor on paper,
火の見櫓,
大森明恍(明治34年-昭和38年), 紙に水彩, 31.9 x 21.5 cm.
Meiko_Ohmori_117c
K#117
Path in Village,
Meiko Ohmori (1901-1963), watercolor on paper,
村の道,
大森明恍(明治34年-昭和38年), 紙に水彩, 23.5 x 16.0 cm.
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額の段ボール箱に「村の道」と書かれていました.
Meiko_Ohmori_63c
K#63
Trees in Village,
Meiko Ohmori (1901-1963), oil on canvas,
村の木立,
大森明恍(明治34年-昭和38年), キャンバスに油彩, 44 x 25 cm
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額の段ボール箱に「村の木立」.

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大森明恍の富士山麓風景_3

土曜日, 12月 3rd, 2016

小道の風景

大森明恍は、森や林の中の小道を描いた風景画も多く残しました。先が見通せないような曲がった小道の絵が多いようです。このままこの道を進んでゆくと、この先、いったいどんな風景が見えてくるのか、期待と不安との両方が感じられます。大森明恍が生涯をかけてたどった「富士山画家」という小道を歩みつつ、そのときどきに感じた心象風景を表現したものかもしれません。


Meiko_Ohmori_023c
K#23
Village Road,
oil on canvas, Sept. 1962.
村道,
キャンバスに油彩, 31.8 x 41.0 cm (F6), 昭和37年9月末.
東山ロッヂ
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キャンバスの裏に自筆で「村道 大森明恍画 一九六二年九月末」との記載があります。

Meiko_Ohmori_025c
K#25
View of Higasiyama,
Meiko Ohmori (1901-1963), oil on canvas/board,
東山風景,
大森明恍(明治34年-昭和38年), 板張りキャンバスに油彩, 41.0 x 31.8 cm (F6).
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板の裏にチョークで「東山風景F6」と記されています。

Meiko_Ohmori_145c
K#145
Winding Path,
Meiko Ohmori (1901-1963), oil on canvas, 1953.
森の小道,
大森明恍(明治34年-昭和38年), キャンバスに油彩, 31.8 x 41.0 cm (F6), 昭和28年.
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画面左下に「M. Ohmori 1953」とのサインがあります。

Meiko_Ohmori_089c
K#89
Meiko Ohmori (1901-1963), watercolor on paper, 1954.
大森明恍(明治34年-昭和38年), 紙に水彩, 35 x 50 cm, 昭和29年.
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画面右下に「M. Ohmori 1954」とのサインか書かれています.

Meiko_Ohmori_58c
K#58
Meiko Ohmori (1901-1963), watercolor on paper, Feb. 19, 1952.
大森明恍(明治34年-昭和38年), 紙に水彩, 26 x 37 cm, 昭和27年2月19日.
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画面左下に「(明)2-19/1952」の記載があります. 昭和27年(1952)当時は東山に住んでいました.

Meiko_Ohmori_118c
K#118
Path in Forest of Higashiyama,
Meiko Ohmori (1901-1963), watercolor on paper,
東山 森のある道,
大森明恍(明治34年-昭和38年), 紙に水彩, 23.5 x 16.0 cm.
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額が入っていた段ボール箱に「東山 森のある道」と書かれていました。

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大森明恍の富士山麓風景_4

土曜日, 12月 3rd, 2016

<h4id=”top”>庭の風景

大森明恍は、自宅の庭や自宅周辺の風景を描いた絵も多く残しました。


Meiko_Ohmori_55c
K#55
Corn Field and Mt. Fuji,
Meiko Ohmori (1901-1963), oil on canvas/board,
四反田の裏口,
大森明恍(明治34年-昭和38年), 板張りキャンバスに油彩, 45.5 x 53 cm (F10)
御殿場市蔵
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額裏に「四反田の裏口」との記載があります. 御殿場町新橋四反田は現在御殿場市内の地名です. 大森明恍は昭和18年(1943)から昭和26年(1951)まで四反田に住んでいました. 日出子夫人は良くとうもろこしを栽培していたそうです. 遠景から夏の富士山に見守られているようです.
Meiko_Ohmori_027c 
K#27
Garden in Rainy Season,
oil on canvas, 1950.
梅雨時の庭(四反田),
板張りキャンバスに油彩, 41.0 x 31.8 cm (F6), 昭和25年.
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右下に「M. OhmoRi 1950」,
板の裏に自筆で「梅雨時の庭 一九五〇. 六月 大森明恍」と書いてあります. 昭和25年当時は四反田に住んでいました. 空がどんよりと曇っています.
Meiko_Ohmori_099c 
K#99
View from House in Sitanda,
Meiko Ohmori (1901-1963), water color on papaer.
御殿場四反田我が家前方風景
大森明恍(明治34年-昭和38年), 紙に水彩, 38 cm x 26 cm.
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画面左下に(桃)の落款があります. 額の裏には「御殿場四反田我が家前方風景」と書いた紙が貼ってありました. K#24と似た雰囲気が感じられるので, 戦中から戦争直後に描かれた絵のような印象を受けます. 背景のなだらかな斜面は, 富士山の裾野かもしれません.
Meiko_Ohmori_083c 
K#83
Pond of Early Autumn in Shitanda,
Meiko Ohmori (1901-1963), oil on canvas/board, 1949.
初秋四反田の池,
大森明恍(明治34年-昭和38年), 板張りキャンバスに油彩, 32 x 39 cm, 昭和24年初秋.
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板の裏に自筆で「昭和二十四年初秋 大森明恍」と書いてあります. またチョークで「四反田の池 出 F6」ともあります. 御殿場の町は富士山からの湧き水に恵まれているようです. 新橋の浅間神社の境内には, 「木の花名水」と名付けられた湧き水が湧いており, 多くの人が水を汲みに訪れるそうです. 池の水面に映る樹々や雲が描かれています.
Meiko_Ohmori_140c
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K#140
Flower Garden,
Meiko Ohmori (1901-1963), watercolor on paper, August 1954.
庭の花、
大森明恍(明治34年-昭和38年), 紙に水彩, 33 x 24.5 cm, 昭和29年8月.
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左下に「1954-8 M. Ohmori」と(桃)の落款があります. 1954年(昭和29年)当時は, 御殿場町東山(現在の御殿場市)に住んでいました. 朝顔やトウモロコシなどの夏の花が色とりどりに描かれているようです.
Meiko_Ohmori_39_c 
K#39
Water Lily,
Meiko Ohmori (1901-1963), oil on canvas, 1955-1959
睡蓮
大森明恍(明治34年-昭和38年), キャンバスに油彩, 41.0 x 24.2 cm (M6), 昭和30年-昭和34年夏
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キャンバスの裏に自筆で「一九五五 大森明恍 一九五九夏終了」と書いてあります. 当時は, 御殿場市東山に住んでいました. モネを真似て, 家の庭に池を作り, 睡蓮を植えていたそうです.

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</h4id=”top”>

大森明恍の日本各地の風景_1

土曜日, 12月 10th, 2016

岬の風景

大森明恍は、日本各地を訪れて、その土地土地の風景画も描きました。特に、石廊崎や潮岬など、岬の風景を描いた絵が多く残されています。 空にそびえ立つ富士山を描いた一方で、陸から海に突き出した岬にも魅かれていたようです。世の中から突き出すようにして、「富士山画家」としての生涯を貫いた大森明恍にとっては、岬の風景に対しても、自らの姿を重ね合わせていたのかもしれません。
穏やかな海もあれば、荒波が岩に打ち寄せる荒々しい海もあり、沖をゆく舟も描いた絵もあります。海の色もさることながら、空の雲にも、その時々の表情が描き分けられているようです。


Meiko_Ohmori_01_c
K#01
Lighthouse of Cape Irozaki,
Meiko Ohmori (1901-1963), oil on canvas, 1961.
石廊崎灯台
大森明恍(明治34年-昭和38年), キャンバスに油彩, 65.2 x 53.0 cm(F15) 昭和36年秋.
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キャンバスの裏に自筆で「石廊崎灯台 一九六一年秋 大森明恍」と記されています. 石廊崎は, 静岡県の伊豆半島の南端にある岬です.
Meiko_Ohmori_56_c
K#56
Cape Irozaki,
Meiko Ohmori (1901-1963), watercolor on paper, Sept. 26, 1961
石廊崎,
大森明恍(明治34年-昭和38年), 紙に水彩, 38 x 26 cm, 昭和36年9月26日
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画面の左下に「M. Ohmori Sep/26 1961」と記されています. また, 紙の裏にも鉛筆で「(120) 1961. 9/26 石廊崎」とあります.
Meiko_Ohmori_084c
K#84
Cape Irozaki,
Meiko Ohmori (1901-1963), oil on canvas, late Autumn, 1961.
石廊崎,
大森明恍(明治34年-昭和38年), キャンバスに油彩, 45.5 x 38.0 cm(F8) 昭和36年晩秋.
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キャンバスの裏に自筆で「石廊崎 一九六一年晩秋 大森明恍」との記載があります. K#56とほぼ同じ構図ですが, 時間帯が異なるようです. ごつごつとした岩の表情が印象的です.
Meiko_Ohmori_61_c
K#61
Cape Irozaki,
Meiko Ohmori (1901-1963), print on paper, 1961.
石廊崎,
大森明恍(明治34年-昭和38年), 紙に版画, 48 x 34 cm, 昭和36年.
—————————
画面右下に「石廊崎 1961」と記されています.
Meiko_Ohmori_096c
K#96
Cape Irozaki,
Meiko Ohmori (1901-1963), lithograph on paper, 1962.
石廊崎,
大森明恍(明治34年-昭和38年), 紙にリトグラフ, 47 cm x 34 cm, 昭和37年.
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画面右下に自筆で「M. OhmoRi 1962」と記されています. K#107と同じ作品です. このころは盛んに版画を制作したようです.
富士山の版画もこのころの作と思われます.
Meiko_Ohmori_070c
K#70
The Point of Shiono-Misaki,
Meiko Ohmori (1901-1963), oil on canvas/board, 1957.
潮の岬,
大森明恍(明治34年-昭和38年), 板張りキャンバスに油彩, 45.5 x 27.3 cm (M8), 昭和32年.
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板の裏に「潮岬 一九五七」との記載があります. 潮岬は和歌山県の太平洋に突き出した岬で, 本州の最南端にあたります.
Meiko_Ohmori_101_c
K#101
The Point of Shiono-Misaki,
Meiko Ohmori (1901-1963), oil on canvas/board, 1957.
潮の岬,
大森明恍(明治34年-昭和38年), 板張りキャンバスに油彩, 45.5 x 27 cm (M8), 昭和32年.
———————
板の裏にチョークで「v55 潮の岬? M8」とあります. 岩の形から潮岬の先端でほぼ間違いないと思われます.
Meiko_Ohmori_123c
K#123
The Point of Shiono-Misaki,
Meiko Ohmori (1901-1963), watercolor on paper, 1957.
潮の岬,
大森明恍(明治34年-昭和38年), 紙に水彩, 31.6 x 23.5 cm, 昭和32年.
—————-
画面右下に「M. Omori 1957」とあります. 紙の裏にも「111 潮の岬 1957」と書かれています.
Meiko_Ohmori_267c
K#267
Shionomisaki,
Meiko Ohmori (1901-1963), Conte on paper, Nov. 23, 1957.
潮岬,
大森明恍(明治34年-昭和38年), 紙にコンテ, 23.7 x 31.6 cm, 昭和32年.
——
右下に「潮岬 M. Omori 1957」とあります. K#123, K#333, K#414, K#437と同時期に描かれたものです. 岩の一部が着色されているようです.
Meiko_Ohmori_333c
K#333
Shionomisaki,
Meiko Ohmori (1901-1963), Charcoal on paper, 1957.
潮岬,
大森明恍(明治34年-昭和38年), 紙に木炭, 34 x 51 cm, 昭和32年.
——
右下に「潮ノ岬 1957 M. Omori」とあります. 岩の部分に黄色の着色があるようです. K#267, K#414, K#437, K#442と同時期に描かれたものです.
Meiko_Ohmori_414c
K#414
Shionomisaki,
Meiko Ohmori (1901-1963), Conte ad watercolor on paper, 1957.
潮岬,
大森明恍(明治34年-昭和38年), 紙にコンテと水彩, 31.8 x 24 cm, 昭和32年.
——
右下に「M. Omori 1957」紙の裏下には「112. 1957 潮の岬」とあります. K#70, K#101, K#123, K#267, K#333, K#437と同時期に描かれたものです.
Meiko_Ohmori_437c
K#437
Shiono Misaki,
Meiko Ohmori (1901-1963), Watercolor on paper, 1957.
潮ノ岬にて,
大森明恍(明治34年-昭和38年), 紙に水彩, 26.5 x 18 cm, 昭和32年.
——
画面下に「潮の岬にて」右下に「1957 M. Omori」とあります.
K#123, K#267, K#333, K#414, K#446と同時期に描かれたものです.
Meiko_Ohmori_442c
K#442
Kuro-Shio-no Misaki,
Meiko Ohmori (1901-1963), Watercolor on paper, 1957.
黒潮ノ岬,
大森明恍(明治34年-昭和38年), 紙に水彩, 50 x 32 cm, 昭和32年.
——
画面左下に「黒潮ノ岬 M. Omori 1957」とあります.
K#123, K#267, K#333, K#414, K#437, K#446と同時期に描かれたものです.
Meiko_Ohmori_446c
K#446
Shiono Misaki,
Meiko Ohmori (1901-1963), Watercolor on paper, Oct. 27, 1957.
潮岬,
大森明恍(明治34年-昭和38年), 紙に水彩, 48 x 31.5 cm, 昭和32年10月27日.
——
画面右下に「潮岬 1957 Oct. 27」とあります. 紙の裏下には鉛筆で「(3) 1957 10/27 潮の岬」と書いてありました.
K#123, K#267, K#333, K#414, K#437, K#442と同時期に描かれたものです.

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大森明恍の日本各地の風景_2

土曜日, 12月 24th, 2016

北海道

昭和27年(1952年)9月から12月までの、約4ヶ月間、大森明恍は北海道の各地を訪れて、作品を制作しました。


Meiko_Ohmori_065c
K#65,
Mashuko in Autumn,
Meiko Ohmori (1901-1963), oil on canvas, Oct. 1952
秋の摩周湖,
大森明恍(明治34年-昭和38年), キャンバスに油彩, 21 x 25 cm, 昭和27年10月.
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キャンバスの裏に, 本人により「秋の摩周湖 一九五二年十月 大森明恍画」との記載があります. 紅葉が鮮やかです.

Ohmori_Meiko_Mashuko_19521007_1a Ohmori_Meiko_Mashuko_19521007_2a
大森明恍の摩周湖での記念写真. 写真左下に”Oct. 7 1952 Lake Mashu”とあります. 作品K#65の制作と同時期に撮影したものと思われます.
また, 写真の裏には本人により「摩周湖畔にて 一九五二・十月 父より 贈 霊子君」との記載があります. 次女のれい子さんに贈られたものです.

Meiko_Ohmori_430c
K#430
Mt. Shari and Lake Mashu,
Meiko Ohmori (1901-1963), Watercolor on paper, Sep. 30, 1952.
摩周湖上の斜里,
大森明恍(明治34年-昭和38年), 紙に水彩, 24 x 18 cm, 昭和27年9月30日.
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左下に「9-30 摩周湖上の斜里」とあります。K#65より少し前に、ほぼ同じ位置から描いたようです。紙の裏の下には鉛筆で「102.1952.9.30」と書いてありました。

Meiko_Ohmori_095c
K#95
Meiko Ohmori (1901-1963),
6 o’clock at Sapporo Clock Tower, watercolor on paper, Sept., 1952.
大森明恍(明治34年-昭和38年),
札幌の時計六時, 紙に水彩, 48 x 29 cm, 昭和27年9月.
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右下に「札幌の時計六時 1952 Sep.(明)」と記されています.

Meiko_Ohmori_112c
K#112
Mt. Shari (Mitsui Farm),
Meiko Ohmori (1901-1963), oil on canvas, 1952,
斜里岳(三井農場),
大森明恍(明治34年-昭和38年), キャンバスに油彩, 53.0 x 45.5 cm (F10), 昭和27年.
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画面右下に「M. Ohmori 1952」、またキャンバスの木枠には本人により斜里岳(三井農場) 大森明恍画と記されています. 斜里岳は, 北海道の知床半島にある火山. 標高1,547mで, 日本百名山の一つに数えられています. 三井農場は, 明治末期に三井グループが斜里町で大規模な農地の開墾を行いました. 後に三井農林となり、一時期酪農製品に進出しました.

Meiko_Ohmori_111c
K#111
Mt. Shari (Mitsui Farm),
Meiko Ohmori (1901-1963), oil on canvas, 1952,
斜里岳,
大森明恍(明治34年-昭和38年), キャンバスに油彩, 65.2 x 45.5 cm (M15), 昭和27年.
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キャンバスの木枠に本人により「斜里岳 大森明恍」と記されています. K#112とほぼ同じ構図ですが, 山の頂にはすでに雪が積もっています.

Meiko_Ohmori_119c
K#119
Nemuro Channel,
Meiko Ohmori (1901-1963), watercolor on paper, Dec. 5, 1952.
根室海峡,
大森明恍(明治34年-昭和38年), 紙に水彩, 37.8 x 29.5 cm, 昭和27年12月5日.
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画面左下に「(明) 根室海峡 一九五二年十二月五日」と記されています.

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K#43
Love of Pig,
Meiko Ohmori (1901-1963), watercolor on paper, Oct. 4, 1952.
豚の愛情,
大森明恍(明治34年-昭和38年), 紙に水彩, 36 x 24 cm, 昭和27年10月4日.
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左下に「1952 Oct-4 (明)」(桃)の落款. 鉛筆で「斜里三井農場ニテ」と記されています. また紙の裏の左下「(173) 1952 10/4 斜里三井農場にニテ 豚の愛情 」と記されています.


大森明恍の北海道滞在に関連する資料

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北海道で撮影された記念写真. この写真は次女のれい子さんが保管されていました. 後方には釧路港でしょうか, 海が見えています. 写真の裏には, 本人により「昭和27年(1952)9月3日, 北海道釧路にて, 明治鉱業会社社員, 西野氏の案内で」と記されています. 中央が大森明恍本人, 左は日出子夫人, 右は明治鉱業の西野さんという方ではないかと思われます.

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昭和27年(1952年), 大森明恍の北海道滞在にあたっては, 北海道の経済界の方々に多大なご支援をいただいたようです.
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大森明恍画伯後援者名(順序不同)
国有鉄道 北海道総支配人 浅井政治 (この方は, 昭和29年(1954)の洞爺丸事故で遭難されました)
株式会社五番館 常務取締役 三苫茂 (五番館は, 札幌駅前の百貨店でした)
帝国銀行 札幌支店長 浅沼光太郎
明治鉱業株式会社 常務取締役 小堀巌 (明治鉱業は北海道で炭鉱を経営していた会社です)
雪印乳業株式会社 社長 佐藤貢
北海道電力株式会社 副社長 藤森賢三
北洋相互銀行株式会社 社長 壽原九郎
日本甜菜製糖株式会社 社長 宮本來治
札幌土地株式会社 社長 江連定一 (この方は1958年より札幌学院大学理事長を務められました)
王子製紙工業株式会社 札幌事務所長 吉井襄
北海道炭鉱汽船株式会社 札幌事務所長 緒方勇
株式会社 栗林商会 会長 森島靖雄
三井木材株式会社 常務取締役 田鍋唯一
第一通商株式会社 札幌支店長 高田房三
三井鉱山株式会社 取締役芦別鉱業所長 川口忠
三菱鉱業株式会社 取締役北海道事務所長 石田三朝
国有鉄道 札幌鉄道管理局長 佐藤武
太平洋炭鉱株式会社 札幌事務所長 矢野健太郎
明治鉱業株式会社 札幌支店長 廣田勝馬(この方は, 大森明恍の(旧制)福岡県立東筑中学校時代の同期生(20回)のようです)

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北海道に滞在中, 札幌市では, 出身の旧制中学校の同窓会が開かれたようです.
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昭和27年12月17日夜, 札幌市エルム山荘にての東筑会会合記念
明治鉱業札幌支店長 廣田勝馬(20回)
札幌市北辰病院耳鼻科部長医博 久保田信元(19回)
札幌市北王べにや会社重役 加留部善次(6回)
大森明恍(20回)
札幌駅前ゴム機械加藤安之助商店代表 向野浄巳(17回)
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この写真は長男の大森如一さん宅に保管されていたものです. 写真裏の説明書きは大森明恍本人によるものです. 東筑会は, 福岡県立東筑高校(旧制東筑中学校)の同窓会です. また, エルム山荘は, 札幌市の料亭で現在のエルムガーデンのようです. この写真から廣田勝馬さんと大森明恍は, 旧制中学校の同期生(20回)だったということがわかります.


アイヌ民俗資料館への寄贈

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大森明恍の没後, 平成12年(2000年), 次女のれい子さんが, 北海道のウタリ協会弟子屈支部を通じて, 弟子屈町屈斜路コタンアイヌ民俗資料館に, 北海道滞在中に屈斜路コタンの人々を描いた油彩画1点, スケッチ6点を寄贈しました. 写真中央の油彩画に描かれている男女は, 当初, アイヌの老夫婦を描いたものと思われていましたが, その後 アイヌ文化振興財団の岩谷光男氏の調査により, 夫婦ではなく, 男性は山中酉蔵さん, 女性は弟子豊治さんの叔母さん(ともに故人)と判明したそうです.
なお, 「芸術新潮」と「日本美術年鑑」とは明らかに別の書籍なので, 上記の大森明恍の説明文には若干の混乱が見られるようです.

愛鷹紀勝_新緑編

日曜日, 8月 11th, 2019

昭和11年(1936年)、大森明恍(当時、大森海門という号を用いていた)は、 足高山須山村保勝会 渡辺徳逸さんからの依頼により「愛鷹山行路の図」という絵巻物を二巻描きました (いずれも裾野市富士山資料館 蔵)。このうち第一巻目は「新緑編」と名付けられました。水墨に水彩で色付けしたようです。 巻物の幅は45cm、長さは全体で5.5mもあるそうです。その後、詳しい経緯は不明ですが、徳富蘇峰に題字を書いてもらい、「愛鷹紀勝」とも呼ばれるようになりました。今回裾野市富士山資料館のご厚意により、巻物の写真を何枚かに分けて提供していただきましたので紹介いたします。

愛鷹紀勝
紀元二千六百年
八月吉
蘇峯菅正敬 (徳富蘇峰)
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紀元2600年は昭和15年(1940年)にあたります。
愛鷹紀勝_新緑編_1, 裾野市富士山資料館蔵
愛鷹紀勝_新緑編_2, 裾野市富士山資料館蔵
愛鷹荘
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愛鷹紀勝_新緑編_3, 裾野市富士山資料館蔵
悪沢
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愛鷹紀勝_新緑編_3.5, 裾野市富士山資料館蔵
富士見台 三峠
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愛鷹紀勝_新緑編_4, 裾野市富士山資料館蔵
三保 御前崎 南アルプス連峰
越前岳 富士見台
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愛鷹紀勝_新緑編_5, 裾野市富士山資料館蔵
大岳 田子の浦 三保 御前崎
鋸岳蓬莱山 鋸岳野猪岩 鋸岳屏風岩 呼子岳 大沢
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愛鷹紀勝_新緑編_6, 裾野市富士山資料館蔵
大島 天城山 愛鷹山 達磨山 大瀬崎
位牌岳 松永塚 鋸岳三枚歯 鋸岳蓬莱山 鋸岳野猪岩 鋸岳屏風岩
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愛鷹紀勝_新緑編_7, 裾野市富士山資料館蔵
金時山 箱根山 前岳 大島 位牌岳
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愛鷹紀勝_新緑編_8, 裾野市富士山資料館蔵
裾野演習場 丹沢山 須山村 金時山 箱根山
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愛鷹紀勝_新緑編_9, 裾野市富士山資料館蔵
裾野演習場   丹沢山
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愛鷹山行路の図
第一巻新緑編
昭和丙子晩春作成
応需 足高山須山村保勝会
大森海門生
写意
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昭和丙子は、昭和11年(1936年)にあたります。
愛鷹紀勝_新緑編_10, 裾野市富士山資料館蔵

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第二巻(盛夏編)に続く>>

愛鷹紀勝_夏景編

日曜日, 8月 11th, 2019

昭和11年(1936年)大森明恍(大森海門)は、須山の渡辺徳逸さんからの依頼により「愛鷹紀勝」という絵巻物を二巻描き、このうち第二巻目は「 夏景編 」と名付けられました。第一巻「新緑編」とほぼ同じ構図ですが、夏の風景を色数を抑えほぼ水墨のみで表現したようです。 今回裾野市富士山資料館様のご厚意により、巻物の写真を何枚かに分けて提供していただきましたので紹介いたします。

鐘秀競奇
昭和庚辰八月
蘇峰菅正敬(徳富蘇峰)
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昭和庚辰 は、昭和15年(1940年)にあたります。
愛鷹紀勝_ 夏景編 _1, 裾野市富士山資料館蔵
愛鷹紀勝_ 夏景編 _2 (裾野市富士山資料館蔵 )
黒岳
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愛鷹紀勝_ 夏景編 _3 (裾野市富士山資料館蔵 )
愛鷹荘
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愛鷹紀勝_ 夏景編 _4 (裾野市富士山資料館蔵 )
悪沢
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愛鷹紀勝_ 夏景編 _5 (裾野市富士山資料館蔵 )
三峠
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愛鷹紀勝_ 夏景編 _6 (裾野市富士山資料館蔵 )
富士見台 三峠
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愛鷹紀勝_ 夏景編 _6.5 (裾野市富士山資料館蔵 )
愛鷹紀勝_ 夏景編 _7 (裾野市富士山資料館蔵 )
田子の浦 三保 御前崎 越前岳
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愛鷹紀勝_ 夏景編 _8 (裾野市富士山資料館蔵 )
呼子岳 大沢 大岳 田子浦
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愛鷹紀勝_ 夏景編 _9 (裾野市富士山資料館蔵 )
大瀬崎 達磨山
松永塚 鋸岳三枚歯 鋸岳蓬莱山 鋸岳野猪岩 鋸岳屏風岩
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大瀬崎愛鷹紀勝_ 夏景編 _10 (裾野市富士山資料館蔵 )
位牌岳 天城山 愛鷹山 大瀬崎
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位牌岳愛鷹紀勝_ 夏景編 _11 (裾野市富士山資料館蔵 )
前岳 大島 位牌岳
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愛鷹紀勝_ 夏景編 _12 (裾野市富士山資料館蔵 )
丹沢山 須山村 金時山 箱根山 裾野演習場
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丹沢山愛鷹紀勝_ 夏景編 _13 (裾野市富士山資料館蔵 )
愛鷹山行路の図
第二巻夏景編
昭和丙子盛夏作成
応需 足高山須山村保勝会
大森海門生
写意
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昭和丙子は、昭和11年(1936年)にあたります。
愛鷹紀勝_盛夏編_14 (裾野市富士山資料館蔵 )

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