大森明恍と佐藤久二_2
昭和37年(1962年)の12月、大森明恍が個展を開催した会場のなびす画廊あてに、佐藤久二さんから手紙が届きました。当時、佐藤さんは熊本に住んでいたようです。個展には行くことができず残念だが、個展の成功を祈っている、という内容でした。


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*) 資生堂展: 資生堂ギャラリーでの展覧会

十一月九日
毎朝台所の窓から遠く燦蚕と前の富士とは裏腹な阿蘇を見て私の心に響く
不比内割人* 七十四才となれり
懐かしき 大森大兄机下
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*) 不比内割人は佐藤久二さんのペンネーム
原文は、カタカナ交じりの独特の文体で書かれています。当時の熊本のお住まいの玄関には、富士山の絵がかけてあって、毎日ご覧になっていたとのことです。
大森明恍が亡くなった後も、ときどき、日出子夫人あてに佐藤久二さんから手紙が届いていたようです。







戦後まもなく、三越で開催された大森明恍の個展の経緯について書かれています。