富士山画の個展(戦前-2)

大森桃太郎新作富嶽展

昭和16年9月の個展に続いて、昭和17年(1942年)4月にも、同じ青樹社画廊にて、富士山画の個展を開催しました。わずか、7ケ月後です。この間に日米開戦(1941年12月真珠湾攻撃)をはさんでいます。
この二回の個展の間に、富士山を精力的に描いた様子を示す写真が残っていました。白糸の滝の近くの崖の上に櫓を立てて、その上から見える富士山を描いているようです。(遠方に富士山のシルエットが見えています)

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(「不盡香」より)
岳西、富士郡上井手村白糸滝
崖上に建てたる櫓の上から富士を畫く
昭和十六年十月より始む

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(「不盡香」より)
第四回 富士山個展
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御招待
拝啓
春陽の好期 愈々御清安奉慶賀候 就者左記の如く此度新作画を陳列仕り 御清観を願上度候間御多忙の折柄恐縮乍ら何卒御家族御同伴御抂賀之栄を賜度く 謹而御案内申上候 敬白
昭和十七年四月八日吉祥
大森桃太郎拝
富嶽展
時 四月九日(木曜)より十三日(月曜)迄五日間
所 東京・銀座尾張町青樹社画廊

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「不盡香」より
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大森桃太郎 新作
富嶽展出品目録

時 昭和十七年 自四月自九日
至十三日 五日間
所 東京銀座青樹社画廊
油彩
1 富嶽暁色 十号
2 海辺の富士 四号
3 夕陽の富士 四号
4 箱根富士 四号
5 元旦仰嶽 六号
6 乙女峠春の富士 十五号
7 湖上の富士 八号
8 富士残光 三号
9 箱根山上夕富士 四号
10 不盡 一号
11 岳麓雪景 六号
12 由比海辺 六号
13 湖畔暁の富士 八号
14 草薙の富士 二号
15 朝焼けの富士 二十号
16 不盡 一号
17 箱根夕映えの富士 三号
18 斜陽仰嶽 十号
19 湖上白峰 三号
20 岳麓雪景 八号
21 山下海岸の朝富士 四号
水墨
1 雲表、絶嶺 (月明紙)
2 上井出の富士 (月明紙)
3 初秋富嶽 (月明紙)
4 箱根富士 (月明紙)
5 箱根富士 (月明紙)
6 新雪 (月明紙)
7 御殿場富士 (月明紙)
8 富嶽 (月明紙)
9 岳麓苔雲荘 (月明紙)
10 富嶽 (月明紙)
11 富嶽 (月明紙)
12 富嶽 (月明紙)
以上


青樹社では、毎月の展覧会の案内のために小冊子を印刷していたようです。その中の12ページ目に大森明恍の個展についての紹介がありました。

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ここで使われた元の写真が、「不盡香」(スクラップブック)にも残されていました。こちらのほうが少し鮮明です。自宅の近くに建てたアトリエの中から窓越しに、富士山を描いています。右側には富士山が描かれたキャンバスも見えています。

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(「不盡香」より)
富士山麓の画室
昭和十五年二月

展覧会中に画廊で撮影したと思われる写真も残っていました。額に入った油絵と、表装された水墨画が並んで展示されています。

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椅子に座っている帽子を被っているのが大森桃太郎本人と思われます。また、和服姿のご婦人はおそらく日出子夫人、学生服を着て学帽をかぶっているのは長男の如一さんと思われます。

神霊富士近画発表会

昭和18年(1943年)9月15日から5日間、同じく青樹社画廊において、富士山画の個展を開催しました。戦争の真っただ中での個展開催です。案内状には、それまで住んでいた諸久保から、御殿場駅の近く(四反田)に引っ越しをしたことも記されていました。

一方、個展開催と同じ月の昭和18年9月、 上野動物園では、空襲の際に逃亡して危害がおよぶ事を予防するため、象を含む25頭の猛獣と毒蛇の餌に毒を混入して殺害してしまったとのことです。

神霊富士近画発表会、昭和18年9月、青樹社画廊
ご招待ご通知
初秋の好時節となりました、
皆様いよいよご壮健にて大戦争のただなかにますますご奉公ご奮励の御ことと心の奥より感謝申し上げます、下而私もかかる大決戦のつづけられます中に、日頃の画業に専念させていただき分けて昨秋より過去十年来一人ひそかに研究を続けて参りました、天然岩絵の具をもって油彩画を作り、何ほどかの新生命打開にその描法にいささか苦心してみましたが、この度やっと最近半年の研究道程を発表して、大方皆様のお心よりのご照覧を仰ぐことにいたし、左の日時例年のごとく個展を開催仕ります、何卒ご来観のほどお待ち申します、
大森桃太郎作
神霊富士近画発表会
会場 東京銀座尾張町 於 青樹社画廊
期日 昭和十八年九月十五日ヨリ十九日マデ五日間
右謹んでご案内申し上げます、

さて、私一家ご承知のごとく富士山麓に住居して早や十ケ年を経過いたしましたが、これから一層目的の霊峰画筆奉仕に必生の努力を続けて行く決心であります、
この度十年間苦闘の岳麓富士岡村諸久保の画室を引き上げて制作上にも適地でありまた成長しゆく大勢の子供たちの教育上にもさらに便宜でもある御殿場駅より数丁の静閑なる土地に九月早々移転仕りました、これからはいよいよ倍旧の真剣さをもって、神意のままに宿願の画業に没頭し一生をこれに捧げつくす所信でございます、
昭和十八年八月吉祥
大森桃太郎
家族一同拝

かかるご時世のことゆえ、展覧会を開きますにも世上一般の事柄と同様、準備資材その他少なからぬ用意不ぞろいを覚悟の上で開催することに決意いたしましたから、会場内の陳列にも例年と異なりすべて室本位のご奉公を旨とし開会いたしました、以上